「慰安婦は戦地の公娼」論を読み解く
「慰安婦は戦地の公娼」論を読み解く
(「ただの売春婦」「金儲け目的」論を含む)
最初にこれを唱えたのは、今日判明している限りでは、1992(平成4)年ー2月24日の『神社新報』に掲載された中村粲氏の「勇気ある対応を政府に望む」である。
同時期、元憲兵たちの機関誌『憲友』(1992年春号)の編集後記は「金儲け目的」論を主張している。
『神社新報』は、神社本庁の機関紙であり、神社本庁と憲友会はどちらも、靖国神社崇敬奉賛会の会員である。
また神社本庁(及び神政連)は右翼組織・日本会議の中心的存在である。
さらに神社本庁と「表裏一体」の関係にある神道政治連盟は、後に「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書採択運動をしていた団体である。
1996年頃には、やはり靖国神社を崇敬する政治家たちによって「ただの公娼」「商行為」「お金もらってる」などの発言がなされた。
(〔歴史検討委員会〕は靖国三協議会が寄り集まってつくったが、板垣正は事務局長、奥野誠亮は顧問である)
①
永野 茂門法相 1994-5(元陸軍軍人)
永野と靖国神社 http://www.eireinikotaerukai.com/pdf/tayori/Eireitayori_No32.pdf
「慰安婦は公娼」
②
奥野誠亮元法相 1996-6
(神道政治連盟国会議員懇談会所属)(みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会初代会長)
「当時は公娼制度が存在し、商行為として行われた」
③
板垣正元参議院議員 1996-6
(日本会議代表委員)(神道政治連盟国会議員懇談会所属)
「当時は貧しさの中で公娼制度があり、恵まれない女性がいた。」
(産経はもちろん、奥野に同意である)
1990年代のこの時期には、読売新聞は政治家のこれらの主張を肯定的報道はしていない。
秦郁彦は1999年の著作『慰安婦と戦場の性』で「公娼制度の戦地版として位置づけるのが適切かと思われる」と書いている。
その後秦郁彦氏を経由し、2007年には読売新聞もこうした主張を吸収している。
これが「慰安婦は戦地の公娼」論のおおまかな経緯である
つまり、最初は神社界、靖国神社崇敬者たちからはじまった主張が、靖国崇敬者(日本会議、産経新聞を含む)の間に充満し、秦郁彦や読売新聞がこれを取り入れ、さらに今日では韓国人であるイ・ヨンフン氏たちも影響を受けたのである。
遊客が民間人から軍人に、監督官が警察署長から軍部隊長に変わった以外に、店主と女性たちとの関係を含めて、業所運営の細部にいたるまで、大差ありませんでした。
日本の右派の論説の多くは、「証明する作業」を怠っているが、この「慰安婦は戦地の公娼」論も同様である。
もし「慰安婦は戦地の公娼である」との意見を証明したいのであれば、公娼制度の法的根拠である娼妓取締規則(日本内地、朝鮮、台湾のそれぞれで多少異なる形で制定・施行された)が、いかに慰安婦制度に適用あるいは援用されたか?という疑問に対して、「このように適用援用されたのだ」という証明がなされなければならない。ところが、右派論壇全体を見回しても、そのような証明を行った論文は存在しない。
ただ、言い張っただけなのである。
イヨンフンは「慰安婦制は軍によって編成された公娼制」と書いているが、「公娼制」と言う言葉を使うなら、娼妓取締規則の適用あるいは援用を証明しなければならない。「〇〇と類似している部分がある」は「〇〇とイコールである」にはならないからだ。
読売新聞の主張の問題点についてはここに ↓
コラム「『反日種族主義』の歴史認識は日本の右派のうけうりである」 - 『反日種族主義』検証サイト