西岡力の労務動員(強制連行)論説について 1「家族呼び寄せ」を知らない西岡力

 

 

反日種族主義』のイウヨンの主張は、西岡力、岡田邦宏、勝岡寛次等の主張に多分に影響を受けている。西岡の主張の問題点についてはすでに前頁で、簡単に触れている。

https://horikekun.hatenablog.com/entry/2020/08/08/164258


ここでは、より詳しく西岡の労務動員(強制連行)論の内容を見てみよう。

労務動員(強制連行)に関する西岡の著作は

1992-8『日韓誤解の深淵』

2005.6『日韓「歴史問題」の真実 「朝鮮人 強制連行」慰安婦問題」を捏造したのは誰か』

2014.11 朝日新聞「日本人への大罪』

2018ー114 「朝鮮人戦時動員に関する研究(2)、手記の検討 」(歴史認識問題研究』第3号)

2019-2 『歴史を捏造する反日国家・韓国』

2019-3 『正論』増刊「歴史戦 虚言の韓国 捏造の中国」

2019.4『でっちあげの徴用工問題』

 等である。

 

 

    西岡力労務動員(強制連行)論の問題点

 西岡は西岡自身が述べているように、歴史学者ではない。「韓国・北朝鮮の地域研究者である」という(『 歴 史 認 識 問 題 研 究 』 第 2 号 (2018年3月15日)、p11、「歴史認識問題とは何か」西岡力)。

それゆえに、資料を読みこんでいないのであろう。

 その論説の問題点の一つは、野中広務への批判である。

 

1 野中広務への批判を考察する

 

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西岡は『日韓歴史問題の真実』で野中広務の証言を否定してこう書いている。

 

いまだに戦前の日本の悪業として「朝鮮人強制連行」が内外でしばしば取り上げられている. たとえば、野中広務自民党幹事長(当時)は韓国・朝鮮への過去の清算の必要性を強調するな かで 、 日癖のように 、 戦争中 、 自宅近くで「強制連行」された朝鮮人労働者がひどい待遇を受け ていたと語っていた。しかし 、その労働者は家族持ちで子供がいたとも語っている。
語るに落ちたとはこのことで、「強制連行」されたのなら当然、家族と離ればなれになっているはずだ。 

その時代に生きていたからといつて、出来事の本質が理解できるとは限らない。そこでまず、いわゆる「強制連行」がどのようなものであつたのかについて、見ておきたい。

(p38~p39)

 

 

「「強制連行」されたのなら当然、家族と離ればなれになってい るはず」だから、野中の証言は「出来事の本質が理解できていない」という。

 

また『でっちあげ徴用工問題』でも、

 

いまだに戦前の日本の悪業として「朝鮮人強制連行」が内外でしばしば取り上げるれている。

たとえば、故人ではあるが、一時期政界を牛耳っていた野中広務自民党元幹事長は韓国・朝鮮 への過去の清算の必要性を強調するなかで 、 戦争中 、 自宅近くで「強制連行」された朝鮮人労働 者がひどい待遇を受けていたと口癖のように語っていた。しかし 、その労働者は家族持ちで子供がいたとも語っている。
語るに落ちたとはこのことで、「強制連行」されたのなら当然、家族と離ればなれになっているはずだ。 

その時代に生きていたからといつて、出来事の本質が理解できるとは限らない。そこでまず、いわゆる「強制連行」がどのようなものであつたのかについて、見ておきたい。

(p134~135)

 

とまったく同じ文章を書いている。この「まったく同じ文章をいろんな著作に書く」は、西岡力の特徴の一つで、たくさん著作物はあるが、中身はスカスカであるというしかない。同じ文章を掲載するだけなら、本を書くのも楽でいいだろう。

西岡は「「強制連行」されたのなら当然、家族と離ればなれになっているはず」という理由で野中の証言を否定しているが、この前提がまずおかしい。

なぜなら、動員された朝鮮人に対する「家族呼び寄せ」は、各事業場や朝鮮総督府と帝国政府が、逃亡防止・労務者定着のために推し進めて対策だったからである。

 

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朴慶植在日朝鮮人関係資料集成 第四巻』のp14には内務省警保局の『朝鮮人労務者移住促進二関スル緊急措置二関スル件』という公文書が掲載されており、これには「逃走其他移動防止上移住労働者ノ家族呼寄ハ頗ル効果的ナルヲ以テ一 層之ヲ促進スルコト」が述べられている。

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これを受けて企業側でも、逃亡防止と定着のために家族呼び寄せを推奨していた。例えば北海道炭鉱汽船株式会社の例では、昭和16年10月に「家族呼び寄せの促進」を決定している(『70年史・勤労編』)。

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1942年1月~1944年9月までの「官斡旋」と呼ばれる時期には「家族呼び寄せ」はあまりなされていないが、それでも記録が無いわけではなく、住友鴻之舞鉱業所は、42年6月ころ、「家族呼び寄せ」を行っている。

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 (『戦時外国人強制連行関係史料集3 朝鮮人2下 』 林 えいだい監修・責任編集)

 

住友鴻之舞鉱業所は、やがて昭和18年(1943年)には産業統制の結果一時的に閉山化するのだが、その際に他の鉱山・炭鉱などに労務者の移転を行った。その移動の際、かなりの数の労務者の家族がいた事が記録されている。

 

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  (『戦時外国人強制連行関係史料集3 朝鮮人2下』 林 えいだい監修・責任編集)

 

労務動員関係資料を漁っていると、必ず「家族呼び寄せ」史料に複数出会うのだが、西岡はそもそも資料集をちゃんと調べた事がないらしい。

 

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実は西岡力は1992年の『日韓誤解の深淵』ですでにこう書いている。

徴用であれば足手まといになる家族を呼ぶことなどもともとあり得ないはずであるが、前記のようにSさんはご主人を追って樺太まで行っている。p199

 

「徴用であれば足手まといになる家族を呼ぶことなどもともとあり得ないはず」という想像から、Sさんの証言を疑っている。

しかし足手まといであろうと何であろうと、「家族呼び寄せ」は政府や企業に推奨されており、徴用を含め、労務動員の歴史の中でしばしば行われていたのである。