労務動員について知っておくべき基本事項と基礎資料2賃金
逃亡防止策としての貯金の半強制的実施及払出の事実上の禁止
さて賃金についても引き続き『復命書』から引用である。
1)
六、内地移住労務者送出家庭の実情
(略)
然し戦争に勝つ為には斯の如き多少困難な事情にあっても国家の至上命令に依って無理にでも内地へ送り出さなければならない今日である、然らば無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務者の残留家庭の実情は果して如何であらうか、一言を以て之れを云ふならば実に惨?(さんたん)目に余るものがあると云っても過言ではない。
蓋し朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさること乍ら送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である、其の詳細なる統計は明かではないが最近の一例を挙げて其の間の実情を考察するに次の様である。 大邱府の斡旋に係る山口県下冲宇部炭鉱労務者九百六十七人に就て調査して見ると一人平均月七十六円二十六銭の内稼働先の諸支出月平均六十二円五十八銭を控除し残額十三円六十八銭が毎月一人当りの純収入にして謂はば之れが家族の生活費用に充てらるべきものである。
斯の如く一人当りの月収入は極めて僅少にして何人も現下の如き物価高の時に之にて残留家族が生活出来るとは考へられない事実であり、更に次の様なことに依って一層激化されるのである。
(イ)、右の純収入の中から若干労務者自身の私的支出があること
(ロ)、内地に於ける稼先地元の貯蓄目標達成と逃亡防止策としての貯金の半強制的実施及払出の事実上の禁止等があって到底右金額の送金は不可能であること
(ハ)、平均額が右の通りであって個別的には多寡の凹凸があり中には病気等の為赤字収入の者もあること、而も収入の多い者と雖も其れは問題にならない程の極めて僅少な送金額であること以上の如くにして彼等としては此の労務送出は家計収入の停止となるのであり況(いわん)や作業中不具廃疾となりて帰還せる場合に於ては其の家庭にとっては更に一家の破滅ともなるのである。
要約すると、無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務者の残留家庭の実情は惨憺たるものであるという。
967人を調査すると一人平均月76円26銭の内稼働先の諸支出月平均62円58銭を控除し、残額が13円68銭が毎月1人当りの純収入になり、これが家族の生活費用に充てらるべきものだが、一人当りの月収入は極めて僅少で、現在のような物価高の時にこれで残留家族が生活出来るとは考へられないという。
更に次の様にも書かれている。
(イ)純収入の中から若干労務者自身の私的支出があること
(ロ)内地に於ける稼先地元の貯蓄目標達成と逃亡防止策としての貯金の半強制的実施及払出の事実上の禁止等があって到底右金額の送金は不可能であること
(ハ)平均額が右の通りであって個別的には多寡の凹凸があり中には病気等の為赤字収入の者もあること、而も収入の多い者と雖も其れは問題にならない程の極めて僅少ない送金額であること
2)住友本社鴻之舞鉱業所「半島労務員統理綱要」(1941年)「賃金は内地人の約八十%にならしむるを方針とす」
3) 逃亡防止策として
「労務動員計画に基く内地移住朝鮮人労働者の動向に関する調査」1941、『思想月報』79号(『在日朝鮮人関係資料集成4』p1246)
「逃走防止の方法として手持ち金5円以上渡さず」
4)1942年、朝鮮総督府が出した『朝鮮人内地移入斡旋要綱』では、「賃金は生活費に必要以外は貯蓄すべきこと」と事業主を指導している。
(『在日朝鮮人関係資料集成4』p1255)
5)
「現金をほとんどもたせない」
6)賃金に関する証言
①逃亡防止のため
「賃金は支給 されませんでした。大夕張の炭鉱では採炭夫が1日 1円 、運搬夫が70銭 くらいでしたが、賃金を渡すと逃亡する恐れがあるということで、家族の もとに送金することになって いま した。必要なものは支給されますが、賃金から控除 されることになっていました」
(『北海道と朝鮮人労働者 朝鮮人強制連行実態調査報告書』北海道保健福祉部保護課発行 第5章聞き取り 朴英培さん)
(p454)
②
「石川組では賃金 はもらっていません。休み もありませんでした。」
(『北海道と朝鮮人労働者 朝鮮人強制連行実態調査報告書』北海道保健福祉部保護課発行 第5章聞き取り 金 正植さん)
(p476)
7)
「貯金通帳も協和会手帳も全部とりあげて渡さないでもらいたい。そして現金は絶対にもたせてはならない。現金をもたせるとすぐ逃亡するからな」
賃金例
1)
「労務動員計画に基く内地移住朝鮮人労働者の動向に関する調査」1941、『思想月報』79号(『在日朝鮮人関係資料集成4』p1237)
「標準賃金1日2円30銭 冬期間は1円80銭」
「食費は1日70銭の契約なのに実際は85円」
「布団は二人一組」
「物価高で困惑」 対して警察は「物価の上昇は一般的なので、(しょうがない)価格は現在のまま」というようなことを答えている。
備考)冬場で日給1円80銭、食費に85銭を引かれれば残高はわずか95銭
仮に30日働いたとして、28円50銭が給料として残るが、ここからさらに強制貯金などで引かれれれば、残りはわずかであっただろう。
闇賃金の高騰(逃亡先での賃金)
1)
闇賃金の高騰
「最近における労務者の闇賃金に就いて」日本銀行(大阪支店)S19-8-18
- 近来極度の人手不足で労賃高騰著しく殊に日雇い労務者に対する賃金は高騰し、公定賃金の10倍に及ぶものあり 賃金の他に酒肴、昼弁当など食料を給与
- 徴用工員の賃金は家族手当、残業手当を含め平均150円見当だが、出勤率極めて悪く欠勤してひそかに町工場や日雇い労務者として従事する者が多い
- 対策 現員徴用するなど強力な統制を加えようとするものや厳罰主義を以て、賃金をひきあげようとするもの
(『日本金融史資料 昭和編 第30巻 戦時金融資料(4)』日本銀行調査局編集
大蔵省印刷局発行p388~p390より)
備考:実際の物価を考えるための資料)
備考1)一人で生活『「昭和」を生きた台湾青年』王育徳(おう いくとく)
昭和18年から東京で浪人生活をしていた王は、親に120円の仕送りを受けていたが
(p204)、19年に東大に合格した後も生活は苦しく「父からの送金は120円だったので生活は苦しかった。外食券をもらって外で食べるのだが、2食分食べても腹いっぱいにならなかった」(p207)と書いている。
備考2)『隣組と戦争』創価学会青年部反戦出版委員会
仙台市 志栄氏 20年4月の仙台空襲の後
「一か月の生活費が当時300円です」(p15)
宮城県桃生郡 菊池つぎを
(昭和19年ころから)「物価はどんどん上がり」(p103)
備考3)『戦争を知らない世代へⅡ㉑佐賀編 強制の兵站基地 炭坑・勤労報国・被爆の記録』創価学会青年部反戦出版委員会
「深夜まで営業した理髪店」 p60~ 七田廣
「杵島炭鉱の修理工場に配属されました 。 正規の鉱員の日給が一円二十銭なら 、 微用された私達は一円ほどの手当」(p64)
「戦時下の私の青春」 p67~ 江頭孝子
昭和11年 杵島炭坑の佐賀営業部 初任給18円
のち会計課へ
昭和16~17頃 日東航機(現在のグリコエ場)へ就職決定 (勤労課 の賃金計算) 給料六十円くらい(p69)
そのほか
1)戦後の政府著作物の認識
「わが国の労働慣行においては古くから国籍、信條、社会的身分を理由とする差別待遇が見られ、特に太平洋戦争中には中国人労働者、台湾省籍民労働者及び朝鮮人労働者に対する内地労働者との賃金面における差別待遇が著しかった。」